これからの未来をどう生きる?未亡人の私が出す結論と幸せへの近道とは

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あなたはこれからの未来をどう生きますか?

未亡人になった今の私は、未来を好きに想像し行動できること、どう生きるか考えられことこそに大きな幸せを感じています。

つまり、ただ、今日も生きていることが奇跡であり、最大の自由なのだと感じています。


ほんの少し見方を変えるだけで、人生は更に楽しくなり、かけがえのない限りある時間なのだと気付きました。


これからどう生きるのか、その未来を考えたり想像できる人は限りなく自由な人なのです。


私は、生きたくても生きれなかった人の存在を絶対忘れません。



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これからの未来をどう生きる?未亡人になったことで、小さな幸せに気づく人生の楽しみ方



私は未亡人になってまだ半年も経っておりません。

いつものように当たり前に隣にいた夫が、去年の秋に突然他界してしまったのです。

心から愛し、これほどに大切で尊い存在だった夫が亡くなったというのに、今世界は当たり前のように毎日が過ぎ、いつもと同じ日常がやってきています。

私たちが生きているこの世界では、普通に日々生活している人がいる一方で、死んでいく人がいます。

ニュースでは毎日のように様々な事故や事件で命を落とした方の報道を見ることがあり、死の存在を自覚しているはずだったのに、実際にこうして夫が亡くなるまで、死というものがすぐ隣に控えていることがわかっていませんでした。


これからの未来をどう生きるか、悩み考えているあなた。


いま、あなたがそのように考えているきっかけは何ですか?


日常生活の中で辛いことがあったのでしょうか。

仕事や学業などに追われ疲労困憊し、生きる希望や幸せを見失っているのでしょうか。

自分の今の人生に不安や悩みがあり、生き方を変えたいと考えているのでしょうか。

もしくは、前向きに人生を謳歌する方法や考え方を探しているのでしょうか。


私がこれからの未来をどう生きるかの答えが、見にきてくれた人全ての方々に参考になるとは思っていませんが、その中の1人でもいいので、響くものがあれば幸いです。


未亡人になった私が、これからどう生きるのか考えてみた結論を3つに分けてご紹介します。



これからの未来をどう生きるか。未亡人の私が出す答え①

1日1日を無事に生きていること、 ” 生 ”に感謝し、当たり前の日常の中での小さな幸せに気付く



『日差しが暖かくてポカポカして気持ちの良い日だ』
『美味しいものを食べれて幸せだ』
『綺麗な景色を見れて嬉しい、感動した』

いつもの日常の中で、楽しい嬉しいと思う気持ち、幸せだと感じる気付きの瞬間を増やしています。

今自分が手にしているもので十分だと思えることが幸せへの近道だと、ブータン王国の首相が言っていました。(ブータンという国は世界一幸せな国と言われているそう。)


人はお金や名声、プライドや見栄など、様々な欲望や感情があり、上を見ようとすると果てしなく欲しいものは増え続けます。

私も、妊娠中から出産後、子供を育てていくお金のことや住むお家のこと等、元々経済的に裕福ではなかった為、周りの友達のご夫婦とよく比較してしまうことが多くありました。

しかし、人と散々比較し比べて得られるものは何もありません。

特に、生活水準が高くない人は虚しくなるだけです。


今あなたが手にしているものはなんですか?


今私は、死別した夫との最愛の娘がいます。

生活ができるお家があります。

心配し、支えてくれる身内や友達がいます。

お腹が空いた時に食べれる食材があります。

娘と一緒に遊び、楽しい時間を一緒に過ごすことができる時間があります。


今私は生きていて、この” 生 ”が限りあるものだと気付いた瞬間その度に、幸せを感じるのです。



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これからの未来をどう生きるか。未亡人の私が出す答え②

” 生 ”を実感すること、こうして息をし生きているだけで、隣り合わせに死が控えて存在していることを決して忘れません。




日々の中で、死を意識することなんてほとんどないとは思いますが、生きていることが当たり前なんて思うことは勿体無いことです。

悩み悲しみ、生きる希望を見失っている方も、実際の厳しい現実では何人もいるのでしょう。

それでも、生きているだけで、その後の未来がある人は、限りなく自由な人です。

生きたくても生きれなかった人は数え切れないほどいて、私たちの知らないところで人知れず亡くなってしまうのが現実です。

私の夫は突然死でした。

全く死の予兆もなく、本人さえもその瞬間が来るまで気付くことなく、いつもの日常の中で突然死んでしまいました。

その後の彼はどれほどの恐怖や絶望を感じたのでしょうか。

生きている限り、必ずどんな生物にも死がやってくるのです。それが明日か来年か、10年後か30年後かはわかりません。

ただ、その時は限りなく間違いなく近づいています。

そのことをもっと身近なものだと感じ、きちんと理解することは、これからの生き方をどう生きるか考える上で、重要なことなのではないでしょうか。

「死ぬ気でやれば人はなんでも出来る。」という言葉をドラマや書籍のセリフでよく聞きますが、死ぬ覚悟がある人はほとんどいないはずです。
誰であっても、死は恐怖であったり、孤独なもので、受け入れ難い存在です。

それでも、一番側に常に在り続けるものが ” 死 ” なのだとわかった時、この今生きている瞬間の ” 生 ” は、私の宿命なのだと感じています。

死が目の前までやってくるその運命の時まで、どんなに悲しくても、がむしゃらに生きることが私たちの定めなのでしょう。



これからの未来をどう生きるか。未亡人の私が出す答え③

後悔しない生き方をするために、言葉に出して伝えることを絶やしません。




私は夫が他界した日、彼との最後の会話のやりとりで大きな後悔があります。

「行ってきます。」と言って出かけた彼に、「行ってらっしゃい。」と返して送り出してあげることが出来なかったのです。

直前の彼とのやりとりで不満があり、彼が出かけた様子を黙って見たのが最後の時間となりました。


突然亡くなってしまった彼に、どれだけ愛していたか、感謝をしていたのか、言葉に出して伝えることはもう出来ず、今になってその大切さに気付きました。


心の中で留めおくのではなく、相手に自分の言葉で伝えることは、その相手がいて成り立つことです。


それほど尊いその瞬間に、
後悔しない為に、
想いはきちんとその場で伝えるべきなのです。



それほどその瞬間には、何ものにも代え難い価値があります。

私は彼との死別により、今更ながらにたくさんのことに気付されました。

これ以上後悔をしない人生を送るため、どう生きるのかを自分自身に日々問いかけながら、この3つのことを忘れず胸に刻んでおきます。

これからどう生きるか悩んでいる方に、少しでも参考になれば幸いです。

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