実際に未亡人となった私が考える未亡人の本当の意味とは?
私は26歳の時に最愛の夫を失い、未亡人となりました。
この未亡人という言葉を、言葉としては認知してはいましたが、生涯において関係してくる言葉などと考えたことは微塵もありませんでした。
まさか今、このような急な夫との突然の死別により、この言葉の重さを身をもって体感するようになるなんて。
人生は一寸先は闇です。
未だに、夫がいないこの現実を受け入れられていませんが、日々寂しくも生きる中で、ふとこの未亡人という言葉について思うことがありましたので、ご紹介したいと思います。
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未亡人の言葉の意味とは?その言葉の由来とは?

《読み方:みぼうじん、もしくはびぼうじん。》
夫に死別した女性。寡婦や後家ともいう。
言葉の由来は中国からきており、夫と共に死ぬべきなのに、まだ死なない人の意。元来、未だに亡くならない人、としての女性差別の意味を含んでいる言葉。
夫に死別した女性。寡婦や後家ともいう。
言葉の由来は中国からきており、夫と共に死ぬべきなのに、まだ死なない人の意。元来、未だに亡くならない人、としての女性差別の意味を含んでいる言葉。
未亡人と共通した意味で「寡婦」(かふ) という言葉もあり、現代でも事務的な手続きで「寡婦控除」等と聞くことが度々あるかと思います。
この寡婦の対として 「寡夫」 (かふ)=「妻に先立たれた夫」という言葉もありますが、妻を亡くした夫を 「未亡人」 とは決して言わず、女性にのみに適用される言葉と定められています。
実際に未亡人となった私が考えるこの言葉の意味とその本質

最愛の夫と死別し数ヶ月が経ち、ご近所の方にも少しずつこのことが知られるようになり、悪い意味ではないのですが、この言葉で噂されていることを知りました。
死別からの未亡人という立場は、一般的に周りから見ると、可哀想、寂しい人、苦労人などのイメージで同情されるような立場の人です。
実際に私も、夫が亡くなってから必要な手続きで銀行や役所に出向きますが、どんな年代の方からも哀れみの目を向けられます。
そんな目を向けられることが、今の私をより一層寂しくさせます。
それは、その哀れみの同情心の温度が、私のこの悲しみや孤独感との温度に大きいギャップの差を感じるからです。
それは相手が悪いということではありません。当たり前のことなのです。
やはり赤の他人同士、その人の感情に共感したり同情したりしても、亡くした人が自分にとってどれ程尊い人だったのか・・・。
それにより、人は無意識でその悲しみを差別化し、その命に対する重要性が変わります。
『命の尊さはだれしもが平等だ』
というのは果てし無く理想論で、人は私的な感情が入り混じり、ランク付けを無意識にしてしまうのだと思います。
夫と死別してから、優しく心配してくれる方にも多数会いましたが、表情や声の掛け方で、自分は結局は独りなのだと感じてしまいます。
自分にとっての重要な、最愛の人を失くして抱える絶望感は、計り知れないものがあり、結局は他の人にはわからないものなのでしょう。
未亡人。最愛の夫に先立たれ、まだこの世で生きながらえている人。
私はまだこの世界で生きてはいますが、彼だけが知っている私は、彼と共に死にました。
彼と共に生きていた私。
最愛の夫であり、一番の理解者で、こんな私を心から愛してくれた人。
いつも強気な私が唯一甘えられる人。
赤ちゃんが生まれてからは、同じ温度で喜び、驚き、感動してくれた人。
未亡人として私はまだ夫がいないこの世界で生きてはいるけれど、彼といた、あのありのままの私は一緒に死んでしまいました。
同じく死別を経験した残された人たちは、どれほどの悲しみや寂しさを後の人生で感じて生きていかなればならないのか。。。
”未亡人” この言葉が表す本当の意味は、当人でしかわからない悲しみや孤独感を指すのでしょう。
それほどの重たい重たい枷のように感じています。
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未亡人としての生き方 悲しみと共に日々逞しく生き続ける

大切な人との死別で感じるこの救いのない心の痛みが大きければ大きいほど、その人を愛していた証なのだと実感します。
無理だとわかっていても、日増しに会いたいと強く願ってしまうこの気持ちは、どうしてもコントロールできません。
会いたいといくら願っても会えずに過ぎ去っていくこの日常でさえも、残酷で恨むような気持ちにさえなります。
そういう時には、この悲しみや寂しさがあるのは、夫がとても大好きだった証、夫といた毎日が幸せだった証、夫に心から愛されていたからの反動だと言い聞かせます。
そうすることで、私は彼からもらった幸せを思い返し、感じるのです。
同じように大切な人との死別により、心の痛みを抱えて生きる方々と、少しでも共感し合い、この後の人生を一歩ずつ前進できたらなあと思います。
コメント
こんにちは。
私は普段は人のブログにコメントを残すことがないのですが、こちらの記事に
ひどく共感したので、コメントを残すことにしました。
私も全く同じ立場です。
昨年9月に主人をなくしました。息子は小学生でした。
今年から中学校にはいりました。
主人と一緒に死にたかったけど、あと10年は息子のために働かなければと
思っています。
chocoさん
コメントありがとうございます。
旦那様が去年亡くなったということで私と同じ境遇なのですね。
息子さんがいるということですが、もう既に死への理解があるでしょうから、お二人とも相当な悲しみを背負って今を生きているのでしょう。
私も生きる意味を無くしたとしばらくは途方にくれていましたが、隣にいる娘の顔を見て現実と向き合えるようになりました。
まだ死ぬわけにいかないと。
ですが、必要以上に力むことなく、一つずつゆっくり未来のことを考えていこうと思っています。
あまり無理なさらずに、休養をとりつついきましょうね。
心から応援しています。
yonamama