死んだ人に会いたいと願うあなたへ 実際に会いにきてくれた夫の話

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死んだ人に会いたいと強く願う方
あなたはとてもとても大切な身近な人を亡くした方なのでしょう。

私は、心から愛していた最愛の夫を去年亡くしました。初めて人生の中で寿命が尽きるまで共に生きていたい、かけがえのないパートナーだと思えた人でした。

私を全身全霊をかけて愛し抜いてくれていたのを日々感じていました。
いつも優しく、当たり前のように大切にしてくれていました。

そんな彼は突然死という病名で、いきなりこの世を去ってしまい、最後の別れも言えぬまま帰らぬ人となってしまいました。

彼がいなくなった毎日は、どうしようもなく寂しく、とりあえず今を生きていても、未来や希望が何も望めないような、真っ暗闇の中を進んでいるだけのように感じています。

彼に会いたい、彼は今どうしているのだろう、毎日泣いてないかな、悲しんでるんじゃないかな、そう毎日同じことを考える中、最近彼が会いにきてくれたことがありました。

ハッキリ彼の気配を感じたのです。


そんな出来事を、同じく死別により寂しい思いをされているあなたへご紹介します。

死んで無になるわけではなく、肉体は滅んでしまっても、魂はきっと無くなって無になることはないのだと、、そう思いたい。

少しでもこれからの未来に希望がもてるお話になりますように・・・。



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死んだ人に会いたいと願うあなたへ 死後の世界から会いに来てくれた夫の話



彼が他界してから49日が過ぎ、2ヶ月ほど経ったある日のことでした。
2016年の冬のことです。

それまで私は、毎日泣いてばかりの日々を送っていました。
その日は特に、たまたま彼との思い出のメールのやり取りを見つけ、悲しみが溢れてどうしようもなく寝室で泣いてばかりいたその時でした。


リビングからふと急に、” リーン ” という音が鳴ったのです。


その音はおりんの音のようでした。

私はその音を聞いて、もしかして彼が会いにきてくれたのかな・・・と考えましたが、まさか聞き間違いかもしれないと思いなおし、しばらく黙って静かにしていると、また同じように ” リーン ” という音が鳴ったのです。

彼が会いに来てくれたと確信しました。
きっと私が泣いて悲しがっているのを見て、大丈夫だよ、側にいるよと知らせにきてくれたんだと思います。

優しく私に甘々な彼のことなので、いてもたってもいられなかったのかなぁと。。

そんな人柄を表すかのように、その音は、とてもあたたかく穏やかな優しい音でした。

彼の気配を間近に感じ、やはり人は死んでしまって身体は滅んでしまっても、例え目には見えなくても、その人の魂は生きてて、こうして側にいてくれるんだとわかりました。

死んだ人に会いたいと願う方々、あなたがつよくそう思うのと同じように、亡くなったその方も、きっとあなたに会いたい側にいたいと願っていることと思います。

ずっと側に、、、は難しいのかもしれませんが、今回のことと同じように、たまにあなたの顔を見に帰ってきているかもしれません。
きっと帰ってきているはずです。


ここまでハッキリ彼の存在を理解したのは初めてでした。
実際49日までも、彼がいるような気配は幾度か感じましたが、、。
(→長くなるので、別記事でご紹介します。)



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死んだ人に会いたいあなたへ どのようにこれから生きていくのかは自分次第



死んだら私たちはどうなるだろう・・・。
これは人として生きる生涯の中でも、永遠に解けることのない最大の謎です。

死後の世界はあるかどうか、学者や研究者の方々の数々の持論を聞きつつも、私は死んだら無にしかならない、死後の世界なんてものはないのだろう、というのが元々の個人的な見解でした。

しかし、夫が突然死にて他界してからは死を身近なものとして捉えるようになりました。私が彼に会いたいと強く思うのと同じように、死別を経験をした方は、無理だとわかっていながら亡くした方に会いたいと思ってしまうのでしょう。

死んで無になるだけなんて、そんなさみしいことはないと思ってしまいます。
彼が跡形もなく消えてしまって、この私達が生きている世界でも死後の世界でも、どこにも存在しないなんて、想像するだけで耐えられそうにありません。

今までのようにすぐ側にはいなくとも、遠くから見守ってくれていると思いたいのです。

そんな中の出来事だった今回のケースから、死んでしまった彼でも、こうしてこの世にまた来ることができるということから、人は例え死んでしまっても無になることはないのだとわかりました。

必要な時にはきっと側にいてくれ、私たちを見守り支え続けてくれるのでしょう。

そう思うと、この無情な残酷な世界、彼のいない今を、これからは強く逞しく生きていける気がしています。

私が一緒懸命生きて、子供を全力で彼の分まで愛し抜き、一人前に育てていく姿を見せていってあげないとと感じています。


これからどう生きていくのかは自分次第。


毎日寂しく悲しく泣いて過ごしていくのでは、先に逝った人は心配で心配で、死んでしまって尚、気苦労ばかりかけてしまいます。


大切で尊い存在で、心から愛し抜いた人だからこそ、あの世では少しでも安らかに楽しく過ごしてほしい、幸せでいてほしいと願わずにはいられません。


私はこの現実を受け入れ、強くたくましく一歩ずつ歩んでいきたいと思います。

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コメント

  1. non-hikaru2015209 より:

    始めまして(^ ^)
    よなままさんのブログを見てると、癒されます。そして、励まされます。

    未だ一年経っていないので、気が張ってというか慌しくされてるのでしょうね?
    三回忌を終えると、ふと隙間が埋められなくなります。余り無理せず、ゆっくりゆっくり、道を歩いていきましょうね。

    • yonamama より:

      コメントありがとうございます!
      とても嬉しかったです。( ; ; )

      夫にパソコンを買ってもらいブログをやるという決意宣言をしたからには、誰も見にこなくても細々と続けようと思い、更新しておりました。

      忘れないにしろ、夫の声や顔を動画や写真で再生し見る度、日が経つにつれ懐かしい思いがします。
      その都度無性に寂しくなります。

      三回忌ともなると、益々時間の残酷さや孤独感を覚えてしまうのでしょう。


      少しずつゆっくり前を向いていきますね!

      non-hikaru2015209さんも、これからの人生益々素晴らしいものなりますように!