大切な人との死別時に支えになる江原啓之の言葉まとめ8選

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夫を亡くしてふさぎ込んでいた私の活力になったものの一つに、霊能力者と呼ばれる江原啓之さんが放った言葉があります。同じように大切な人を亡くし、なかなか前を向けずに苦しんでいる方に、少しでも何かしらの気付きになればなあと思い、ご紹介したいと思います。

こんにちは。
よなままです。

この記事を見に来てくださった方は、もしかするととても大切だった人を亡くしてしまった方なのでしょうか。自分にとってどれだけ重要な人であっても、私たちが生きている世界の次元で考えると、いかにちっぽけな存在だったんだと痛感させられますよね。

私も最愛の夫を損失した時には、自分の中で時間が止まったような感覚を覚えるほどの大きな衝撃でしたが、時間は決して止まることなく、残酷に過ぎ去っていきました。

いくら泣こうが後悔しようが時間はどんどん過ぎていってしまいます。私たち一人一人に与えられた時間は平等ではないと感じさせられました。

「時は無情なり。」
本当にその通りです。

だからこそ、時間は、何よりも尊く価値のあるものなのでしょう。

どうせこの先まだしばらく生きていくのであれば、可能な限りこの時間を大切に、満喫していきたいと思っていたそんな時、江原啓之さんが放った言葉を聞き、気付きを得られるきっかけになりました。

興味のある方に、ぜひお付き合い頂ければ幸いです。



そもそも江原啓之さんってどんな人?霊能力を得たきっかけは?



江原 啓之(えはら ひろゆき)さんは1964年(昭和39年)の12月22日生まれのA型で、奥さんと息子さん二人を持つ、ワタナベエンターテインメントに所属するタレントさんです。
職業としてはいくつもの肩書きを持ち、作家やオペラ歌手を始め、吉備国際大学短期大学部客員教授、九州保健福祉大学客員教授といった肩書きを得ています。

一般的に巷で知られているのは、霊能力者といったイメージだと思いますが、スピリチュアル関連では複数の取りまとめをする顧問としても稼動されており、一般社団法人 日本フィトセラピー協会顧問や自ら設立した一般財団法人日本スピリチュアリズム協会理事長なども務められています。


霊能力を得たきっかけとしては、そもそも霊感の強い家系であったことが知られており、7歳上の姉や祖母にも霊能力があったとされています。
霊能力を強めたきっかけに関してはある機会が原因になったそうです。


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江原啓之さんの霊能力が強まったあるきっかけとは母親との死別だった



江原さんは幼少期の頃から、不思議な能力を発揮し両親を驚かせていたらしく、その一つに、父親が買い物に行く前、血まみれになった父親の姿を予知した後、実際に自転車で転んでケガをしたことがあったそうです。

4歳の頃には、父親の黒いオーラを見たそうですが、その3日後、薬害により亡くなってしまいました。

小学校の頃には、先生や生徒から変わった子と思われており、そのことを母親には相談した結果、自身の不思議な能力のことを人に言わなくなりました。

一時的に中学生の頃には霊能力が無くなり、普通の学生生活を送っていたそうですが、それも束の間に、ある日母親が亡くなる夢を見てしまったのだとか。
結果的に母親も江原さんが15歳の時に癌で亡くなってしまったのですが、意識不明になる前日、「18歳までは守られる、その後はひとりで生きていかなければだめ」と言い残した出来事があったというのです。

その母の死をきっかけに、再び霊感が戻り、以前よりも霊現象に悩まされることが多くなってしまったそうです。

大学在学中には、不思議な霊現象に悩まされ、天井に人の手の跡が見えたり、道で霊に手を取られたり声を掛けられることが多くある等、家を出ることも苦痛になっていきました。

結局19歳で大学を退学し、その後は自分の霊能力をどうにかコントロールするべく、霊媒師と呼ばれる人を何人も訪ねるようになったそうです。

やっと信用を置ける方にめぐり合ったことがきっかけとなり、その人の勧めで神主の資格を取るために滝行などの自己鍛錬に励み、最終的に資格を得、神社で働くようになりました。

ちょうどその時期から霊現象に悩むことはなくなったといいます。




江原啓之が放った言葉が心に刺さる理由 両親との死別経験で得た強さとは?



江原啓之さんの著作『人生に無駄はない 私のスピリチュアル・ライフ』という本にはある言葉が載っていました。

それは、
「人生に無駄はない」ということ、そして「できることはできる、できないことはできない」という言葉でした。

江原さんは早くにご両親を亡くし、多くの苦労をしてきた中、その苦労を重ねてきたことはすべて無駄ではないといっていました。

この言葉には、人生が限られた時間だということを十分に理解し、その尊い時間の中で最大限の価値をつくっていくんだという強い意志を感じました。


夫を亡くした当初は、なぜ私の夫だけが急にいなくなってしまったのか、こんな確率の低い突然死なんてことがなぜ起こったのか、現状に悲観ばかりしていました。

それでも、前を向いていかなければならないと思っている時、この言葉は胸にぐさっと刺さりました。


「人生に無駄はない。」


夫の死を経験して、何一つプラスに変えていくことが出来ないのであれば、その出来事はただの突然の死という悲惨な事実で終わってしまいます。

とても大好きだった優しい夫に最後に与えられたものが、悲しいだけの死であったとは思いたくないのです。そんな風に受け止めてしまっては、泣く泣く逝ってしまった夫がどれだけの責任を感じてしまうだろうか・・・。

夫との死別を乗り越え、たくさんのことを学び、これからの人生の糧にすることが重要なのだと思います。


また、江原さんは「苦労が多い人ほど熱心に魂の向上をしています。」
「地位名誉に恵まれて羨むような生活が人生の成功ではないのです。」

と語っていることから、辛く悲しい経験こそが、自分自身を向上させる機会なのだと改めて思いました。

そんな江原さんが語る言葉は、何かしらの気付きが得られたり、心にグサッと刺さるようなものばかりです。

幼少期の頃から、人一倍たくさんの試練を乗り越えてきたからこそ、多くを学び、強くなったのかもしれません。





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大切な人との死別経験時の支えになる 江原啓之の言葉まとめ8選 ①〜③



①「死は決して悲しいことではありません。たましいがこの世での経験を終えて、故郷に戻ったということです。向こうの世界では、拍手で迎えられているのです。」


夫と死別して49日がくるまでの間、夫の気配を感じる出来事や、実際に不思議な現象を体験したことから、やはり人は死んだ後でも魂としての存在は確かにあるということを知りました。
(⇨人は死んだ後どうなるの?夫が死んだ後49日までに起きた不思議な出来事①〜②)
(⇨夫が死んだ後でも側にいると思えた事実に基づく不思議な49日間の出来事③〜⑤)

今では、死んだあとにいくべき世界・・・霊界という場所なのかはわかりませんが、実際に存在しているんだろうなあと考えています。


②「肉体は死んでもたましいは死なないことを理解すれば、死の恐怖、愛する人との死別、人生を刹那で不幸と捉える、苦しみから救われる」


③亡くなり方がどうであれ、その人が生きてきた人生の輝きが失われるわけではありません。その輝きを胸に故郷に帰るときが来たということ。そしてまたいつか私たちが故郷に帰れば必ず会えます。決して永遠の別れではありません。



人は皆必ず死にます。
いつか死んでしまう時が絶対に来るはずなのに、その事実を普段から意識する人は少ないでしょう。
日本人は特に教会に行く風習などもない為、現実にその時が来たら、受け止めるのに時間が掛かってしまうかもしれません。

もし、自分の死を意識する時があれば、きっと死の先は全くの無ではないと信じましょう。

なぜなら、私の夫は死んでからもよく家に帰ってきて、その存在を私が感じていたからです。



大切な人との死別経験時の支えになる 江原啓之の言葉まとめ8選 ④~⑥



④人間はちっぽけなものです。なぜなら、お天気ひとつ変えられません。今日一日を生き延びること事体、奇跡のようなものなのです。


寿命よりも早くに大切な人を亡くしてしまうという経験をされた方は、皆同じことを言っていました。
それは、「人生なんて何が起こるかわからない。いつも通り明日が来て、毎日を生きられるという確証はどこにもない。」と。
そんなコメントをくれる方が多くいました。

その事実を強く感じている人こそ、毎日の中の一瞬一瞬を楽しいものにしようと頑張るのでしょう。


⑤本当に亡くなった人のことを愛しているなら、そう長くは泣いていられません。自分の人生をしっかりと歩むことこそが今は亡き人を安心させることであり、浄化を応援することになるのです。


この言葉はグサッときました。
安心させてどうにかして納得させてあげることが一番必要なのだということ。

特に夫の場合、二人の霊能者と名乗る方に成仏していないと言われてしまったのですが、夫の心情を察するに、まだ幼い子供が生まれたばかりで、これからの成長を何よりも楽しみにしていたはずなのに・・・無念と言う他ありません。
仕事も、成果がこれから出て益々楽しくなるところでした。
未練ばかりが残ってしまうような状態で、心配で心配でなりません。

だからこそ、「大丈夫だよ、後のことは任せて!」と言えるような生活をしていかなければならないのでしょう。
くじけそうになった時には、この言葉をちらっと思い出してみたいと思います。


⑥故人への感謝を表す一つのいい方法があります。それは今この世に生きている他の人達との関わりを大切にするということです。


この言葉は、まさしく私が考えていたことを代弁してくれたようでした。

元々夫はとても人当たりが良く、いろんな人との交流があり、たくさんのつながりを私にもつくってくれました。

しかし、夫を亡くしてからというもの、家に引きこもり、ほとんど友達とも遊ぶことなく子供とだけ過ごす毎日を暮らしていたある時、我が子の人見知りが激しく、同じくらいの子供ともうまく遊べない現状に気が付いたのです。

我が子の視野を広げて、たくさんの人とのつながりをつくってあげたいと思うようになってからは、いろんな子育てイベントに出掛けるようになったのです。


『今この世に生きている他の人達との関わりを大切にするということ』

素敵な言葉だと思います。



死を想うことで今を充実させて生きられる 江原啓之の言葉8選 ⑦⑧


⑦過去のどの経験も、ひとつとしていらないものはありません。楽しい経験はもちろん、たとえあなたが「忘れてしまいたい」と思うようなことでも、すべてたましいの成長のために必要な経験なのです。


なぜ突然死をしなければならなかったのか、どうして私の夫だったのか、突き詰めて考えても答えが出ないことばかりを嘆いていました。
しかし、今は夫の死を受け止め、今日一日を一生懸命に生きることが重要なのだと認識しています。


⑧私たちは、つい忘れてしまいます。今ここに命を与えられて、働いたり、恋をしたりできる、その奇跡のような確率を。私たちに現世での命が与えられたこと自体、本当にすばらしいこと。その喜びを常に感じて生きていくことが、「前向きに生きる」ということです。


この言葉を知り、前向きに生きるということは、未だ自分が生かされていて、これからの未来に何をしようか考えることが出来るということ、自由であることの大切さに気付きました。と同時に、今生きていることに感謝するようになりました。


もう一つ、江原さんが言っていた言葉があります。
それは、『死を想うことで、今を充実させて生きられる。』というものです。

辛かった経験を糧に、これからの未来を強く歩んでいきましょう。

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コメント

  1. 信國 由香里 より:

    2018年1月14日夫を脳幹出血で亡くしました。54歳でした。
    私の体調管理が行き届いてなかった。
    早く、受診していたらまだ生きていたはずという思いが強くて、前を向けません。
    夫と子どもたちに申し訳なくて。
    毎日、胸が張り裂けそうな思いで過ごしています。夫に謝りたい。

    • yonamama より:

      yukariさま

      コメントありがとうございます。
      54歳というご年齢はまだまだお若く、ご主人様も主様も、色々思うことや悔やむ思いが
      山ほどあったことと存じます。

      あの時こうしていたら~と思う気持ち、痛いほどよくわかり、主様の心に未だあり続ける
      自責の念が、この文章を通じてよく感じます。

      今はまだ、どうにも心の整理がつかず、真っ暗闇にただ佇んでいるように感じているかと
      思いますが、きっといつか、少しずつこれからの未来に向かって歩んでいこうと思うことが
      出来る時が来るはずです。

      そう、心からエールを送りたい気持ちでいっぱいです。
      共に少しずつ進んでいきましょう。

      yonamama

  2. まや より:

    4月22日大動脈解離で主人が亡くなって、未だに理解も亡くなった事にも受け止められなくて、47才だったんです
    私は良い嫁ではありませんでした。いつも私のワガママ聞いてくれて主人が幸せだったのかわかりません。
    後悔ばかりしかありません。もっと優しくしてれば良かった、もっと一緒に出掛ければ良かった…私は主人に甘え過ぎてました
    「居なくなるはずない」って…亡くなる前に入院してて、夕ご飯主人が食べ終わったのを見届けてまたねって…

    • yonamama より:

      まや様
      コメントありがとうございます。

      返信にお時間を頂いてしまい申し訳ありません。
      旦那様を亡くされてしまったとのことで、たくさんの悲しみや後悔を背負ってしまっているのですね。
      主様の文章に、旦那様を心から大切になさっていた愛情を強く感じました。

      私も主様と同じように、たくさんの後悔や罪悪感を感じました。
      夫を失ってしまった時の絶望感は、本当に言葉で表せるようなものではないですよね。

      今はきっとたくさん泣き、悲しんでいていいのだと思います。
      いつか、少しずつ、毎日の小さな楽しみや喜びをかみしめられるようになる日が来る、と信じましょう。

      まゆ様のこれからの幸せを願っています。


      yonamama

  3. umie より:

    5月半ばに大切なかけがえのないパートナーが亡くなりました。
    年齢がいってからのつきあいでしたが、お互いに出会うべき人にめぐり逢えたようで、大事に思いあい支え合って過ごした12年間でした。
    数年前から難病になり、余命宣告も受けていましたが、主治医も周囲もまだもう少しは大丈夫と思っていました。
    でもアクシデントが起こり、あの日の明け方病室のベッドから落ちて硬い床の上でたった一人で逝ってしまいました。
    可哀想で助けてあげられなかった自分が苦しいです。
    テレビを見ても外へ出かけても、思い出に繋がるものだらけで心が痛みます。
    もう一度だけ会いたい、話しもたくさんあるし、ありがとうも言ってないし。
    二度と会えない所に逝ってしまった事が受け入れられず、涙と後悔と孤独感の中で自分自身がどうして生きていげばいいのか、苦しいです。

    • yonamama より:

      umie様
      コメントありがとうございます。

      すぐに返信出来ず申し訳ありません。

      拝読させて頂き涙が出ました。
      お互いを心から想い合い、大切にされてきた12年もの日々を過ごされたのですね。
      その長い時間があるだけに、今回の事故は言葉では言い表せない程の悲しみを感じているでしょう。

      主様の後悔の念や喪失感は、私にはかりきれません。

      それでも、いつか、失くしたパートナーに注いだ愛情分、パートナーの方から受けた愛情分を糧に、これからの未来に一歩ずつ歩んでいけることを願っています。

      亡くなったパートナーの方は、主様が悲しんでいる時、辛い時は、必ず側にいますよ。
      きっと今までもいつもそうだったんですよね?

      亡くなった後でも、魂は存在します。
      私はそれを自身の経験をもとに信じているのです。

      yonamama

  4. umie より:

    返信をありがとうございます。 同じ悲しみを経験されているよなままさんの言葉はとても心に染み入ります。
    もうすぐ49日が来ますが、亡くなった人の気配を感じたことはありませんが、きっとこの家に来てくれていると思います。
    最初良くわからなくて、よなままさんのブログの他のコメント欄にも同じような文章を入れてしまい申し訳ありません。
    まだ毎日のように涙が出ますが、少しづつでも前向きになれたらなぁと思います。ほんとうにありがとうございました。