最愛の夫を亡くしてもう半年以上が過ぎましたが、最近はほとんど側にいるような感じがしません。お盆時期は死んだ人が霊となって帰ってくると聞きますが、本当に帰ってくるものなのでしょうか。
そもそも本来のお盆の意味にはどんな想いが込められているのでしょうか。
今まで考えたことがなかったお盆という日本独自の風習について、まずは意味や由来から詳しく調べてみました。
また、同じように最愛の人を亡くしてしまった方は、お盆の時こそ会えるのではないかと期待してしまうのではないかなと思いましたので、私なりの考えについても一緒にご紹介したいと思います。
こんにちは。
よなままです!
最近ブログの更新が滞っておりますっっ。
それでも、細々と更新はしていきますので、ぜひ興味のある方は見てやってください!
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目次
正しいお盆の意味と由来とは?死んだ人が帰ってくるといわれるようになった理由について

お盆(おぼん)とは、夏に行われる日本の祖先の霊を祀る一連の行事のことで、古くからの考え方に基づいた祖霊信仰と仏教が融合した行事を意味します。
昔は太陰暦の7月15日を中心とした期間に行われていましたが、現在では月遅れの8月15日を中心とした期間に行われることがほとんどになっています。
お盆の由来としては、盂蘭盆会(うらぼんえ)という精霊を供養する行事がそもそもの由来であり、盂蘭盆(うらぼん)の漢字から一文字とって出来た言葉が今のお盆になったといわれています。
この聞きなれない盂蘭盆会という言葉は、インドのサンスクリット語の「ウラバンナ(逆さ吊り)」、ペルシャ語の「ウラヴァン(霊魂)」からきた言葉になります。
この「逆さ吊り」が語源となる、古くから伝わる一つの説によりお盆がつくられたともいわれています。
その内容がこちらです。
仏教を学んでいるお釈迦様の弟子のひとりだった目連尊者(もくれんそんじゃ)という人は、神通力によって亡き母が地獄に落ち、逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。
お釈迦様にどうしたら母親を救えるか相談したところ、お釈迦様は「夏の修行が終わった7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことができるであろう。」といったそうです。
その後、目連尊者はその教えのままに努めたその功徳が認められ、母親は極楽往生が遂げられました。
お釈迦様にどうしたら母親を救えるか相談したところ、お釈迦様は「夏の修行が終わった7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことができるであろう。」といったそうです。
その後、目連尊者はその教えのままに努めたその功徳が認められ、母親は極楽往生が遂げられました。
この逸話を由来として、古くから農耕儀礼や祖霊祭祀などが融合して、太陽暦の7月15日は祖先に感謝を捧げ、供養する重要な日=お盆という考え方がつくられました。
お盆はいつからいつまで?お盆とお中元との関連性って?

基本的なお盆期間は、8月13~16日とされている他、東京や一部の地域では、7月13日~7月16日にお盆を迎えることもあります。
一般的なこの時期をお盆休みとしている会社なども多くあります。
ちなみに、行事として知れ渡っている”お中元(おちゅうげん)”は、 お盆の考え方に影響されつくられ、お世話になった人々に贈り物をする習慣を指します。
お中元の時期としては、お盆と同じく7月15日または8月15日に行われますが、各地域により多少前後するようです。
私の出身地の北海道では、旧盆の時期にあたる7月15日~8月15日にお中元を贈ることが一般的です。
一般的に知られるお盆時期としては、8月13~16日もしくは、7月13日~7月16日で正解なのですが、お盆の始まりから終わりまでを詳しく調べてみると、釜蓋朔日〜迎え火〜送り火と、一つ一つに意味がある定められた日と風習がありました。
次に深掘りして詳しくご紹介します。
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お盆の始まりから終わりまで 死んだ人が戻ってくるとされる日からあの世へ帰ってしまう日っていつなの?

お盆として一般的にいわれる期間は、8月13~16日とされていますが、実際にはもっと幅広い期間が当てはまります。
お盆の始まりとして、”釜蓋朔日(かまぶたついたち)”という言葉がありますが、釜蓋朔日とは、地獄の釜の蓋が開く日であり一般的に7月1日、もしくは8月1日を指します。
お盆は既に1日から始まっており、この日を境に墓参りやお墓の清掃などをして、ご先祖様等をお迎えする準備をする必要があるのです。
地域によっては、山や川より里へ通じる道の草刈りをしますが、この行動の意味は、ご先祖様が山や川に居るという文化に則り、お還りになる故人が通りやすいように道を整備する目的があります。
次に、”迎え火(むかえび)”と呼ぶ習わしがあります。
迎え火とは、客人や神霊をむかえるためにたく火のことで、神迎えや婚礼、葬式にも使われますが、基本的にはお盆の時の先祖の霊を迎え入れるためにたく野火のことを指します。
地方により、7月13日または8月13日の夕刻に行われます。
最後に、”送り火(おくりび)”と呼ばれる、お盆に帰ってきた死者の魂を現世からふたたびあの世へと送り出す行事があります。
一般的に送り火は、7月16日もしくは8月16日の夕刻に行われますが、前日の15日に行う場合もあります。
送り火が終わった16日で全ての霊が帰っていくわけではなく、ゆっくりと時間をかけて帰っていくという考えから、故人を送る期間は、16日から24日までとされており、それまではお迎え同様に墓参りなどをして勤めるのがよいといわれています。
仏教では、本来お盆は1日から24日を指している為、その考えに基づくと、亡くなった人がこの世に戻ってくる日は7月もしくは8月1日、霊界に戻っていくのが16日から24日までとなるでしょう。
これは、閻魔王(えんまおう)という地獄の王と対になる、仏教の信仰対象である地蔵菩薩(じぞうぼさつ)がいますが、この地蔵菩薩の縁日が24日までとされており、この期間を含めてお盆と考えられていることに基づいています。
お盆に死んだ人がこの世に戻ってくるかどうかの答え探し 私が気になったある霊能者の話

今でもどうしようもなく寂しくなってしまった時は、どうしたら死んでしまった夫に会えるのか色々考えてしまうのですが、その時にはすぐに答えがもらえそうなインターネットの世界で、答えを探し続けてしまうことがあります。
インターネット上では様々な人達と関わることができる為、その中の一人でもその答えを知っているんじゃないかな、とほんの少しの期待をしてしまうのです。
そんな私が以前調べてみて、少し気になった答えを出している、ある自称霊能者の方がいました。
その方はこう言っていました。
お盆の時期には必ずあの世から死んでしまった人達が霊となって帰ってくるとか、そういう決まりとかはない。
それでも、自称霊が見える人たちは、お盆にはいつもより霊をたくさん見るとネット上で騒ぎ立てるけれど、それは”お盆シーズン”という根っこの考えが”無意識に霊を追っている”ことにより、いつもより霊に目が行くだけだ。
また、お盆時期には御墓参りをして、ご先祖様に供物を捧げ、「今日はお盆ですよ、帰ってきてくださいね。」といい、この世にいる私たちが歓迎する姿勢でいるからこそ、それを知った亡き人達が帰ってくるのだと思う。
それでも、自称霊が見える人たちは、お盆にはいつもより霊をたくさん見るとネット上で騒ぎ立てるけれど、それは”お盆シーズン”という根っこの考えが”無意識に霊を追っている”ことにより、いつもより霊に目が行くだけだ。
また、お盆時期には御墓参りをして、ご先祖様に供物を捧げ、「今日はお盆ですよ、帰ってきてくださいね。」といい、この世にいる私たちが歓迎する姿勢でいるからこそ、それを知った亡き人達が帰ってくるのだと思う。
という考え方から、『お盆=自ら亡き人が帰ってくる』のではなく、お盆だから帰ってきてねという姿勢でいるこの世の私たちの想いにつられて、あの世から帰ってきてくれるのだそうです。
以前にちらっとブログでご紹介した、死んだ人が見えていたミサさんという方がいますが、その方は昔ハッキリと霊から聞いた言葉があったそうです。
それは、お盆時期に道端で会った知らないおじさんの霊でした。
そのおじさんの霊は、「おれ、今こっちに戻ってきてるんだー!」と言っていたそうです。
ミサさんはその時に初めて、やっぱり死んだあとの世界はあるんだなと思ったそうです。
ということは、やはりお盆時期に死んだ人が霊となって帰ってくるのは、事実として可能性が高いように思います。
特に、会いたい、帰ってきてと亡くなったその人を切望し望んでしまう限り、その故人も気になって側から離れられないという感じなのでしょうか。
そう願うこと自体、もしかしたら自分の都合を押し付けていること、ただの自分のことしか考えていない一つのわがままになってしまうのかもしれません。
死んだ人が帰ってくるといわれるお盆の時期がやってくる 未亡人となった私がしたいこと

今回、お盆本来の意味や由来について調べてみましたが、一年に一度、自分が今生かされているという事実と向き合い、命を続けてくださった祖先の方々に感謝をする日だということがよくわかりました。
亡くなった夫の月命日の際には、お坊さんからも大切なお話を何度か聞くことが出来ました。
「自分がいま、生かされているという奇跡に感謝をすること」
「生という限りある時間を一生懸命に生きる大切さを、故人を思い出す度に繰り返し気付くこと」
人間は忘れる生き物だから、いま自分が生かされているという奇跡を繰り返し思い返し、感謝をすることが大切なのだとわかりました。
間も無くお盆の時期がやってきますが、私は最愛の亡き夫に、たくさんの愛情と優しさをもらった日々を思い返し、いっぱいありがとうと伝えたいと思います。
お盆の時期くらい顔を見せてほしい、会いたいから側にいてほしいと願ってしまいそうになりますが、彼を想う気持ちが私の中で一生続く限り、彼は私の心の中で生き続けるのだと信じ、それで十分なのだと思うようにしています。
もし側にきてくれたとしても、見えない私には結局姿を確認することは決して出来ないのです。
しかし、今、目を閉じるだけで彼の笑顔を思い出すことができます。
間も無くお盆がやってきますが、娘とふたりで夫のお墓参りをしながら、たくさんのありがとうを伝えてみようと思います。